全体主義と私たち

おはようございます

今回は政治の話です

私は個人的にではありますが社会主義が嫌いです。というか全体主義が苦手です。
(皆さん誤解されがちですが、ヒットラーは国家社会主義ドイツ労働者党の政権ですしスターリンや毛沢東も基本的には同じスタイルの支配者でした。)
(日本の大政翼賛会という現象もそれと類似する点が多くみられた事を学校の先生は教えてくれないのですが・・・・・(日教組の影響?))
それは、ザクっと乱暴にいいますと、社会全体を一つの家族としてとらえ、その運営(営み)を会議(話し合い?)にて決めるというシステムが主柱にあるからです。
(一人のカリスマと残りの全くの均一な群衆の塊を理想とする社会です)
だから、かわいそうな貧乏人の事は一生懸命応援するが、一般人より少しでも裕福な人(一般から逸脱した人も)を見ると「親の仇か?」と思えるぐら罵り地面に引きずり倒し「反省」を公衆の面前で求めるのです。
いわゆる同調圧力の最大版!!「リンチ」です。

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人と人との関係は大事ですが、家族のように近くなりすぎると、その関係性は憎悪に変容するのは古今東西私達の社会ではよくある話です。
私がこれを歴史的事実の中から学んだのは、フランス革命でした。
自由と平等と平和(?)を標榜したこの革命は、まず王族や貴族、そして有産者階級、ついには無産市民ですら粛正しつくすといった、本来目標としていない事象を引き起こしました。(サンキュロットに対する弾圧などは良い例だと思います-いわゆる内ゲバ)
この社会運動は、その後も歴史の端々で発生しており、文化大革命として隣の覇権国「中国」にて大きなうねりとなった状態で出現いたしました。
そして私が一番問題だと思っているのは、私が思うこの加害者たちが誰一人として自分の残虐的行為の結果について心の奥底から否定したり反省したりする事がなかったという事実です。

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人は集団心理にて引き起こされた結果に対して罪悪感を薄める傾向があるのだということはよく言われておりますし日常引き起こされている学校での「いじめ」を見るにつけよく「理解は」できる人間の本質です。
「みんながやっているから」「自分が標的にされたくないから」「自分は見ていただけで何もやっていない」等々、後々問題になった時の言い訳でよく聞かれる言葉の数々からも証明されている事かと感じます。
人は物事をよく考えもせず、その場の雰囲気にのまれ、取り返しのつかない行動を起こしやすい生き物です。
善悪の区別なども歴史の時々や、コミュニティー枠毎で大きくぶれていくもです。
そんな軸自体がブレブレな人間社会において「今」!!という時間に生きる我々個々人が、他者からの正義(?)によって裁かれていく社会をいびつに感じてしまうことはそれほど不思議ではないような気がいたします。

今、現在、日本で引き起こされてる謝罪の強要という「リンチ」文化を見るにつけ、うすら寒い未来しか見えないのは・・・・・・・・・・・きっと私の気のせいなのでしょう。

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